つぶやき(2026)
ソロモンと知恵 (1/1/2026)
ソロモンの父ダビデ(BC1040~961)は、ペリシテ最強の戦士でガト出身の巨人ゴリアテを石投げで倒し、古代イスラエル王国第二代国王(在位BC1000~961)となりました。
そして、ダビデの子ソロモン(BC1011~931)は、古代イスラエル王国の第三代国王(在位BC971~931)です。
そのソロモンに神は、夢の中で一つの願いを述べるようにと言いました。
「ソロモンは,民を公平かつ賢明に裁くことができる、知恵と知識を願い求めました。
神は喜び、ソロモンに賢くて理解のある心を与えます。さらに、ソロモンが従順であり続けるなら、富と栄光と長寿を与えるとも約束しました」(旧約聖書・列王記第一・第三章)
これが「ソロモンの知恵」と言われるものです。
今回、ナニが言いたいかと言うと「知恵とはナニか」です。
辞書を引くとチエには「知恵」と「智慧」があります。
「知恵」とは「物事の道理を判断し処理して行く心の動き」
「智慧」は仏教的な意味で「智とは相対世界を観る働き、慧とは相対世界における悟り、つまり、この絶対的世界とは異なる相対的世界における真理を見極める認識力」となっています。
このような「知恵」
多くの人々は、勉学に勤しむことで、人は知恵を付け得ると思い自力で頑張っています。
ですが、ここが知恵あるソロモンと私達の違いです。
ソロモンは、知恵とは神から与えられるもの、神から授かるもの(他力)である事を知っていました。
ですから、夢で神が「願いを一つ言え」と言った時、「知恵を与えてください」と言いました。
ソロモンは、知恵とは人間が努力(自力)しても得られないものだと言う事を知っていたから言えた言葉です。
そのような真の知恵を知らず、猿真似をして浅知恵に狂っている人々を、老子は次の様に諭しています。
老子第十九章
「智恵など追っ払い,知識など捨ててしまえ。
そうすると民衆は,百倍もの利益を得るだろう。
慈愛など追っ払い,正義など捨ててしまえ。
そうすると民衆は,親族間の親愛を取り戻すだろう。
狡知など追っ払い,“効用”など捨ててしまえ。そうすると,泥棒や追いはぎなどいなくなる。このような三様の言い方では,表面的で,十分ではないので,民衆がわかる形で記してみようか──
素朴さはそのままがよい。
生地のままで振る舞え。
利己は控えめに、欲はほどほどがよい」
老子は、人々が知恵だ知識だなどと言っているものが、単なる情報にすぎない事を知っていました。
その様な情報をいくら頭に詰め込んでも、人のためにも自分のためにもならずにかえって害になると老子は言っています。
なぜなら、情報とは過去の記録にすぎません。
明日を創造するのに、過去の情報を基にしていたのでは、なんら新しきものは生み出されません。
こんな事を言うと「人類は進歩してきたではないか」と言う人達がいる事でしょう。
人類の進歩発展に寄与して来た人々とは、真の知識と知恵を神から授かった人々です。
その様な人々がいたから、人類は進歩し発展してきました。
ですが、その進歩を浅知恵にたけた人々が悪用してしまうものです。
それが、今の世界の状況です。
いかに神とつながり、神から知恵と知識を授かった人の少ないことか。
偽りの知恵を持ち神をも恐れない人々が、神とつながり神から知恵と知識を授かった人達をどれ程までに迫害してきたことか。
ソロモンは、旧約聖書・伝道の書で言います。
『空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ』
最後に「他力と自力」についてですが、「他力と自力」とは言い変えたら「神を知った人と知らない人」と言えます。
神を知らず、神がいない人では、神や真我はナニもできません。
神を知らず、神がいない人には、神や真我は知恵を与えようがありません。
ですから、「神を求めよ」と言った時に、神を知らない人は単純にそのまま「神様!神様!」と神を求めます。
その様に神を求めるから、神は逃げて行きます。
では、どうしたら良いのか。
来月まで、お考え下さい。
これが「引き寄せの法則」につながります。

