つぶやき (2025)
天の物差し、地の物差し (3/1/2025)
人はそれぞれに自分なりの物差し、ものの見方をもっています。
そして人は、その自分の物差しを基にして、自分の人生を生きています。
今から六百年ほど前の室町時代に、一休禅師と言う僧がいました。
この一休禅師は、酒場や色街に入り浸ったと言います。
それも、隠れてコソコソとでは無しに堂々と入り浸っていたそうです。
その様な事から、一休禅師は他の人々から「破戒僧」とも言われました。
ですが、一休禅師は素直に自身の物差しで自身の人生を生き抜きました。
この様な生き方は、悟った人でなければできないものです。
私などは人の目を気にして、他人の持つ物差しに合わせて生きているものです。
情けない限りです。
言い換えるなら、一休禅師の様に悟らない私達は、常に因習的行為規範に自分を縛り付けて生きているものです。
ドリール先生の師は言いました。
「世俗的な人生を捨て霊的真理の実践を為している者にとっては、因習的行為規範を守ろうが守るまいが同じである」 (2023/5のつぶやき参照)
そうなのですよね。
霊的に目覚めた人は、私達が持っている様な歪でねじ曲がった地の物差しなどでは無しに真っ直ぐな天の物差しで自身の人生を生きているんですね。
その様な天の物差しを持った人を、私達の様な地の物差ししか持っていない者には理解できないものです。
ですから荘子は、次の様に言っています。
『北方の海洋に,魚が棲んでいて,名を鯤(こん)と言う。その大きさは何千里なのか見当がつかない。鯤は変身して鳥となり,その名を鵬(ほう)と言う。鵬の背の広さは何千里あるのか,これも見当がつかない。鵬が動き,飛び立つとき,空は雲が立ちこめるときのように,日が陰ってしまう。
蝉と若鳩とが笑って言った,「おい,おれが力いっぱい飛んでも,木から木へ飛び移るのがやっとなんだぜ。時には,途中で地面に落っこちちゃうのにさ。奴ときたらさあ,南へ出かけるのに,九万里も飛び上がるなんざあ,いったいどういうことなんだよ,ばかばかしいったら!」
田舎の方へ出かけ,三度の食事をして帰ってきても,その者は出かけたときと同じように腹を空かせないでいるだろう。しかし百里を旅する者は,一夜を過ごすためにじゅうぶんな米を用意しなければならない。さらに千里を旅する者は,三月もの間かかって,食料を調達しなければならない。
鵬を笑った小さな生き物たちは,何を知っているというのだろう』
本当に、私達の様な小さな者は、ナニを知っているのでしょうか。
善も悪も生も死も無い神の世界を、私達が持つ善悪の物差しでは測りようがありません。
神に近づいた人達を、小さな私達の持つ歪な地の物差しでは測りようがありません。
ドリール先生は「人は困難な経験から得られた光の知識だけが、その人に真の物差しを与えてくれる」と諭しています。
そして「困難を、自身で乗り越えよ」と言います。
一休禅師の労苦も知らずに、一休禅師のことをとやかく言うことなどできはしないものです。
でも多分、一休禅師は私達から見たなら苦労を苦にせずに為したのだと思います。
苦にも囚われること無しに人生を歩んだのだと思います。
そんな一休禅師が七仏通誡偈(諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教)の前の二句「諸悪莫作、衆善奉行」のみを書にしたためました。
「悪い事はするな。善い事をしろ」です。
でも、一休禅師は「本当か」と私達に問いかけてきます。
一休禅師は私達の持っている歪な地の物差しで観てはいません。
天の物差しで推し測った時「諸悪莫作、衆善奉行」の二句は違った顔を見せてくれます。
ヒントは「このはしを渡るな」です。
佛教で言う中道であり、カバラの生命の木で言う中柱(均衡の柱)です。
先に言ったように、神の世界には生も死も、そして善も悪もありません。
地的な善悪に囚われていたら、神の世界は知りようもありません。
そのような中で、天の物差しを得ようとしたなら、どうしたら良いのか。
ドリール先生は、次の様に言っています。
そのためにも「先ず、この物質界の意味と、この物質界にあなたがいる意味とを知らねばならない」
そして「地の物や地の義では無しに、天の国と天の義とを求めよ」と言います。
無 常 (2/1/2025)
「常」とは、天界の絶対にして永遠なるとこしえの状です。
それに対して、この人間界は絶対なるものも永遠なるものが無き「無常」の状です。
昔から「この世の無常を悟れ」と多くの賢者達が、愚かな私達に諭してきました。
「諸行無常」です。
親鸞聖人は、火事になりかけている家の中で幻と言う遊び道具に夢中になっている私達に対して「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごと、たはごと、まことあることなきに」と諭しています。
でも、なぜ、私達は“この世の無常“を知る事ができないのでしょうか。
乗物などに乗って周りの風景を眺めていると、周囲の風景は変化して行きます。
ですが、その風景を眺めている自分の変化には気付きはしないものです。
なぜなら、自分が見えていないからです。
人は、自分が見えていないから、自分の変化に気付きません。
老人になっても、自分だけ若いつもりでいます。
そのような中、ある日、自分の白髪に気付いたり、病になったりして、自分の身体にも変化が起きていることを気付くものです。
でも、身体の変化は、鏡を見たり、健康診断で知ることはできますが、一番やっかいなのは“心”です。
心はいつまでも、昔の楽しかったことなどの自分にとって居心地の良い状を握りしめ、この世は常しえだと思い続けているものです。
その時、苦が生じてきます。
極端な例で言うと、競馬などのギャンブルで一度大穴を当て、それが忘れられずにギャンブルにはまって行くようなものです。
自分で汗もかかずに、楽に大金が手に入ることが忘れられずに、ギャンブルにはまり込んで行く。
親鸞聖人が言ったように、すべては、空ごと、絵空ごとであり、戯言です。
そして、この世のすべては、変化する幻です。
すべては、移ろい行きます。
善き事も、悪しくなります。
その逆も、またしかりです。
そして、自分が置かれた状に即して、自分の心の中も変化して行かねばならないものです。
自分の身体を含めたすべてが変化して行く中で、心だけが昔の居心地の良い状を握ったままでは軋轢(あつれき)が生じます。
車に例えたなら、自分の身体を含めたすべてはアクセルを踏んでいるのに、そこに乗っている心だけがブレーキをかけていては、その車は壊れて行きます。
心も壊れて行きます。
話も変わって、戦国時代の人、織田信長。
織田信長と言うと、良く「敦盛」を舞っている姿を目にします。
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」と言う幸若舞です。
「人間界の五十年などは、天界から観たなら一瞬であり、人間界の一生は夢幻のようなものだ」と言っています。
その中で、大変重要なことは「天界から観たなら人間界の一生は夢幻のようなもの」と謡いながら、常日頃からこの世の無常を心に刻んで行くことです。
そうしながら、意識して自分の心を見つめ直して行くことが大切だと思います。
そうして、心もアクセルを踏んで行くようにし、軋轢を無くしてことです。
そうすることで、この世の無常も観じ得るようになると思います。
簡単に言えば「今を生きる」です。
過去を引きずって今を生きていては、今が輝きません。
それには、信長さんのように舞わなくとも「無常」の文字を日々見つめるだけでも良いと思います。
そして、一番大切なことは「無常」を想いながら、「常(とこしえ)」を知ろうとすることにあります。
天界の絶対にして永遠なる状に想いを馳せ、真実なる世界である天を目指すことです。
親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごと、たはごと、まことあることなきに」の後に「ただ念仏のみぞまことにておわします」と念仏(今の心を佛・神とする行)を通して真実なる存在を知るようにと諭しています。
チベット仏教に「三士の教え」があります。
無常を思い、次の化身を大切にしようとしている人を、小士と言います。
輪廻の輪からの解脱を求める人を、中士と言います。
解脱して利他のために働くことを目指す人を、大士と言います。
人は、まず無常を悟りながら、次の化身を善きものとして行くことから始まります。
小なる士にもなれない人は、火宅無常の世界を幻と共に無限地獄をさ迷い、苦しみ抜いて行くのみです。
水火(イキ) (1/1/2025)
今まで余り語りはしてきませんでしたが、今回は日本の歴史について独断と偏見に満ち満ちた私見を述べたいと思います。
歴史の教科書で、日本の歴史は前14000年前までを旧石器時代としています。
その時代は、気温が低く海面は低下していて大陸と陸続きで動物と共に人々が大陸と行き来していたそうです。
そして、温暖化が始まり海面が上がり日本列島は海に囲まれ孤立し、人々は海や山の物を採って生活する縄文時代がはじまりました。
前14000年前から前1000年頃のことです。
いわゆる神代の時代です。
そして、前1000年ころ稲作技術を持った人々が日本にやって来て弥生時代が始まりました。
そして、300年頃に新たな民族が日本にやって来ました。
大和時代の始まりです。
九州から始まり畿内まで新たな民族が支配して行く事になりました。
それが、今日の日本の始りだと教科書では言われています。
この支配者の変遷を通してナニが起こったのか。
古き力に代わって新しき力が取って代わる。
そこには力のぶつかり合いが生じていました。
最近の話では、1945年に第二次大戦が終わり日本は負けて終戦を迎えました。
そして、日本はアメリカを主体とする連合軍の占領下におかれました。
アメリカによる主導のもとに、日本の様々な行動様式が変えられ今に至っています。
殊に、西暦300年から始まった大和朝廷でも大きな変化がもたらされました。
この様なことが、古代の日本でも行われてきました。
まさに弱肉強食の世界です。
物事の良し悪しではなしに、力の大小による世界です。
今回の問題点は、ナニをして日本の文化と言うのかです。
大和朝廷の命をうけて古事記や日本書紀が編纂されました。
なぜなら、大和朝廷は自分らが滅ぼした弥生文化については知っていても、その弥生文化が一千年以上前に滅ぼした縄文文化については良く分からなかったからです。
良く分からなかったから、縄文以前を神代としました。
そして、その神代の時代から自分らは日本にいたと言いたかったようです。
古事記などは、大和朝廷に即した歴史書と思われていますが、その中には縄文以前の人々の文化(神代の古言)が密かに隠されたいました。
そもそも「あいうえお」の五十音は、なぜ有るのか。
漢字が渡来して、書き言葉の「あいうえお」や「イロハ」の文字ができたと言われています。
そして、五十音の「あいうえお」の順はサンスクリット語から来ているとも言われています。
ですが、これは発音としての、話し言葉としての「あいうえお」が神代の時代から有ったからの話です。
話は飛びますが、江戸の天保年間に「水穂伝」と言う書を残した山口志道と言う方がいます。
山口志道は伏見稲荷に伝わる「稲荷古伝」と山口家に代々伝わる「布斗麻邇御霊」とを使って古事記を読み解きました。
そして「あいうえお」五十音を読み解き「水稲伝」として残しました。
また「日月神事」で有名な岡本天明は「水穂伝」を学び口語訳を残しています。
古事記「天地のはじまり」には「天地のはじまりの時、高天原という場所に、神々が出現した。はじめに出現したのは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかむむすひのかみ)、その次に神産巣日神(かみむすひのかみ)だった」とあります。
山口志道は「水穂伝」で『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とは「天地のはじめ虚空(そら)の正中に`の氣(イキ)なる」と言う御名にして⨀である』と記しています。
そして、その五十音の説明を下記のように記しています。
ア: アは空水(そらみず)の灵(たま、レイ)にして、五十連(いずら、五十音)の水火(イキ)の意。五十音はアから出てアに帰る。
メ: 回るの意。五十連の水火(イキ)の回るを天と言う。
ミナカ:ミは中の意にして、ミナカとは中に中をかさねて言うことばであって、正中(真の中心)の意
ヌシ: ヌはノの濁ったものであり、シはシルシの略。
また、高御産巣日神(たかむむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)に関しては次のように記しています。
タ: 灵(たま、レイ)である。
カミ:カラミのラを省いたものにして、タカミとは「灵搦(たまから)む」の意。
ムスヒ:「結ぶ」の意にして父の`(点・チョン)が母の〇に搦む結ぶの火水(カミ)の意。
(山口志道著・岡本天明口語訳「稲穂伝」より)
これ、読んでいて気づきましたか。
これ、カバラ生命の木のケテル、チョクマー、ビナーの三光球の説明であり、ケテル内のホアとホアが発したイキ(HBL)です。
天之御中主神とは、生命の木におけるケテルの中の点で示されているホアです。
⨀(マルチョン)です。
〇(円)がケテルで、中の`(点)がホアです。
(岡本天明は、このマルチョンを「日月神事」の中でよく使っています)
生命の木のケテルの中にある△がホアの創造の基本原理アレフ(創造の聖なる息)・メム(上なる水)・シン(火)です。
(ホアは先ず、創造を始めるためにヘブライ・アルファベットのアレフで象徴される、創造の聖なる息である氣・ヘブリ・HBLを発し、メムで象徴される上なる水を打ち、メムに内在した火・シンを解き放ち創造を始めた。詳しくは「神秘形而上学入門」)
山口志道は、この△を読み解きました。
と言うよりも「稲荷古伝」と「布斗麻邇御霊」の中にカバラ生命の木と同じ内容が記されて いたと言う事です。
記されていたから、「あいうえお」五十音のナゾも読み解いたのです。
五十音とは、ビナーの五十門やバルドの五十の状です。
生まれ、死し、そしてまた生まれる。
まさにアから出てアに帰ります。
アルファからオメガです。
つまりは、神代の時代に海洋民族であるヘブライ人かアトランティス人が日本に来ていたと言う事です。
イスラエルの失われた十氏族ではと言う方もいますが、アブラハムが紀元前1700年頃の人だとすると縄文時代の終わりのころです。
それから、日本へと渡来したとなると時代的には合わなくなります。
また、カタカムナで有名な楢崎皐月は、満州に工場長として行き、吉林・老子廟で蘆有三道士から老子の思想を教わった際に、道士から「これらの事は昔あなたの国から来たものです」と言われたそうです。
また、日本語の発音がヘブライ語と似ていると言われています。
それと、なぜ高句麗(扶余)の人々は海を渡って日本へと来て大和朝廷を作ったのか。
海を渡ってまでも日いづる国に来たかった理由があったのでしょうね。
山口志道さんの事に戻りますが、志道さんは最終的にアレフ(聖なる息)に行き着きました。
水火と書いてイキです。
全てものの始りです。
ホアは意志し発したイキで全てのものが創造されました。
今も、ホアはイキを吐き続けています。
そのイキを頂く事に志道さんは気付き、自身の呼吸法を作り出しました。
朝日に向かい口を大きく開け、日の光を吸い込む事でした。
神秘学やヨガでは、人は空気を肺で吸い込んでいるのでは無しに、空気中のプラナ・エネルギーを吸い込んでいるのだと教えています。
プラナ・エネルギーは空気中の酸素以上に大切なものです。
魚は水を通してエラから酸素を吸収していますが、人は鼻咽喉にある管を通してプラナ・エネルギーを吸込み多くの通路(経絡)を通して全身に行き渡らせています。
それから、高句麗の人々が日本へと来る以前に秦の始皇帝は徐福に命じ不老長寿の秘薬を日本に求めさせました。
弥生時代のころの話です。
不老長寿の妙薬とは、なんでしょうか。
それは、アに始まりアに帰す五十音の輪を断ち切る事です。
それによって、人はホアの下に帰すことができ、死を乗り越えることができます。
真に生きる者となります。