つぶやき (2022)

合 掌 (04/1/22)

手を合わせる所作は、インド由来のものと言われています。

合掌は、佛や菩薩行をされている方々に対する感謝の印とされています。

また、合掌は一般的に祈りの所作とされていますが、ただ、祈りとは願いではありません。人は、問題にぶち当たり解決方法が見つからない時、困った時の神頼みとばかりに両手を合わせて、見えない神に頼み込むものです。

それが生じて、自分でできない物事を親や周囲の人々に頼む時なども、両手を合わせて頼み込むものです。

本来の祈りのポーズである合掌とは、「ありがとうございます」の受領書であるべきなどですが、人間の弱さからかいつの間にか「お願いします」の請求書に代わってしまっています。

そして、合掌し意志し念じれば物事が叶うと誤って思われてしまってもいます。

引き寄せの法則などと、まことしやかに言われているものです。

正に、弱い人間の吸い寄せ器です。

何ともはや、智慧や知識の無い人々が多い事か。

 合掌し、無心に祈った時、何かが与えられるかも知れません。

ですが、それは結果です。

合掌し感謝の念を以て、無心に神を想い、神に祈る事が因と成って、果が現れる事もあるでしょうが、その果を願っていては、真に無心とは言えません。

 古来から“念佛”と言われるものがあります。

念佛とは「今の心を、人に非ざる神とする」の意味です。

ですから、手を合わせ、自身の心で神を想い、ただひたすら神と同調して行く事が念佛です。

その時に一番大切な事は、自分が想う神の状です。

私達は、自分が経験した物事を基準として、自分の神を創造して行きます。

その自分が心の中に作り出した神の状が、如何に幼稚で不完全なものでも良いのです。

ただ、その自分が作り出した神の状に満足せずに、その神の状を壊し、新たな神の状を作り出して行く事が一番大切な事なのです。

 私達が何かに瞑想している時、様々な雑念が生じてきます。

その様な雑念から意識を躱(かわ)す意味から「南無阿弥陀佛」と称える事が有効となります。

その意味などに囚われず、自分の神の状を作り出して行く事です。

その際に、手を合わせる事で、氣が巡り、真我の導きを得られやすくなるものです。

只々、両手を合わせ「南無阿弥陀佛」と称え、神を想う事です。

 神を創造すると言う事での問題です。

-1+1= は、どうなりますかと言う問題です。

答えは0(レイ)ですネ。

そうしたら 0= とは、ナンでしょうか。

レイは 0=-1+1でも0=-10000+10000にもなります。

つまり、レイとは 0=-a+a です。

0から-1が出て来た途端に+1も出てきます。

0から-10000が出て来た途端に+10000も出てきます。

私達は、-a(ネガテブ、悪、不調和)+a(ポジテブ、善、調和)などは理解できます。

ですが、-aと+aが一緒に成り、-a(ネガテブ、悪、不調和)でも+a(ポジテブ、善、調和)でも無くなったレイの状がどの様なものなのかを考える事は至難の業です。

ですが、それが神を想うと言う事です。

それが、イノルと言う事です。

新たな年に、新たな自分と、新たな神と出会えますように。   合掌

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